F-104 Page
Page-3
↑ 上2枚は、1976年3月ルーク空軍基地で撮影されあもので、記念塗装されて間もない頃。↓は、1977年1月に撮影されたもの
TF-104G/63-8464 Aug.1975
渡辺コレクションズとは
↑ シリアル61-3076の複座型TF-104Gは、アメリカ建国200周年の特別マーキングが施された機体である。シリアル末尾が、”76”あった事から、美しくマーキングされた機は、航空専門各誌のグラビアを飾った。この機体は、阿里山8号計画で台湾へ売却され、台湾では序号4174が付けられた。1983年台湾のCCK空軍基地に配備され、第三聯隊で使われたが、3253時間の飛行時間を消化し、1995年に廃棄されている。
Wings
本ページもルーク空軍基地のTF-104Gを主題に、スライドフィルムで撮影された渡辺師匠の作品と、師匠のスライドコレクションの中から展示をさせて頂くが、その前に渡辺さんとの出会いやスライドコレクションの事について、過去に記述してUPした文書を引用しながらご紹介したい。(2023年11月 記)
先週の事になるが、三郷市内で渡辺明さんと久々にお会いして、懸案事項であった渡辺さんの所蔵の航空機スライドコレクション一式を全て譲り受けた。ご自身で撮影された貴重なスライドフィルム以外に、40年近く交流した海外の写真家約50人とスライド交換で集められたその総数たるや約22000点にもなるそうである。渡辺さんご自身はこれからの人生を模型造りに専念される為、断舎利の意味もあって、ご自身の所蔵品を理解のある人に委ねたいとのご意向であった。ご本人にとって大事な娘を嫁に出す心境で居られたはずである。私自身もういい歳なので、この膨大且つ貴重なコレクションを譲り受ける上で、きちんと管理できるのか心配はあったが、「今後、どのように処理しても良い、例え燃えるごみで捨てられても 一切の文句は言わないよ」とのお言葉を頂き、少し気が楽になってお受けする事とした。このスライドフィルムコレクションは、1970年代から1990年代中期に渡るアメリカ軍機を殆ど網羅していると言っても過言でない程のボリュームがあり、航空専門誌でも見られない貴重なものを含まれている。私の使命は、これら渡辺さんご自身の作品も含め貴重な写真の数々をただ眠らせて保管しておくのではなく、営利目的でない本HPギャラリーを通じて多くの航空ファンに見て頂く事だと考えている。但し既に連絡が取れないと言う海外の写真家50数名にHP掲載の許可を取ることは不可能なので、”渡辺明コレクションズ”と銘打って適宜掲載させて頂こうと思う。米軍以外の欧州・カナダ等の各国軍用機のスライドも大変多いのだが、時間的制約から先ずは米軍中心にHPでご紹介して行きたい。当HPにアクセス頂いている軍用機ファンの方々もご期待頂きたい。(2023年6月10日 記)
↑ 1980年10月にノートン空軍基地撮影されたF-104G 63-13243。尾翼には、69th TFTSのインシグニアが入った珍しい塗装。1982年7月にデートンの国際航空ショーに展示された時は、胴体後部にDA+710という西ドイツ空軍の記号を張り付けて展示された。
渡辺さんの記事から~

・・・・ディーキング曹長は、滑走路の先端に私たちを連れて行ってくれた。滑走路の端と言うと基地の金網を連想するが、砂漠のど真ん中にあるルーク空軍基地には金網などはない。どこからどこまでが基地なのか全くわからない。とにかく滑走路の先にはどこまでも広がった砂漠があるだけだ。ここは1年を通じてほとんど雨が降らない。真青な空に、F-104やF-4が4機ずつエシェロン編隊を組んで訓練飛行から帰ってくる。一度上空を編隊でフライパスすると、やがて編隊を解いて1機ずつ降りてくる。私の立っている場所からは、135mmレンズで接地の瞬間がバッチリ写せる。・・・・航空情報 1977年3月号掲載
渡辺 明さんの世界

人の出会いとは、不思議なものである。大凡30年前の事になるが、1977年と言えば私が航空機写真撮影に没頭し、のめり込んでいた時期であった。丁度この頃、航空情報誌に衝撃的な記事の連載が始まった。1977年2月と3月号の航空情報に連載された”アメリカ西海岸基地めぐり”は、渡辺明氏が1975年8月にカルフォルニア・アリゾナを中心に基地巡りをした撮影旅行記であったが、当時米軍機撮影に没頭していた私にとって、この記事の内容は正に羨望の極みと言える内容だった。それこそ、当時記事に穴が開くほど繰り返し読み、後の1980年アメリカ撮影旅行の切っ掛けともなったもの内容だった。ある時、ネット(SNS)を通じ、この一連の記事に登場する人物で、渡辺さんの友人として当時現地で彼の撮影をサポートしたジム・レスリー氏(元海軍航空隊士官、F-14Aパイロット)から航空情報誌のこの記事のコピーがほしいと言う要請を頂き、アメリカまでコピーをして送ってあげたことがあった。その時は私も渡辺さんとは面識もなく、多分 このジム・レスリー氏も現在は渡辺さんとの連絡が取れないのであろうと推測し、暫くはジムとネットでのメール交換などをやっていた。

それから数年後2008年4月である・・・私の駐在している北京ではオリンピックの準備も終了して落ち着きを見せ始め、会社の仕事も漸く一段落し、休暇を取って日本への一時帰国をした。自宅に弟を呼んで久々に酒を交わしていた時、彼からこんな話が飛び出した。弟は大手自動車部品メーカーに勤め、趣味は模型つくりであるが、最近、会社の先輩に同様な趣味を持つ人がおり、交流を深めたと言う。弟が其の先輩に、「私の兄は航空機の写真撮影が趣味である」と話した所、以前はその方も航空機の撮影に没頭され、自主出版で自衛隊の写真資料集まで出したそうで、相当なベテランらしい事が判った。数日後その先輩から「本をお兄さんへ・・・」と自主出版された本を進呈して頂いたとの事。弟が持ってきたその本を見ると、その著者名は渡辺明氏となっていた!・・・慌てて書棚の航空情報誌を確認した所、何と1977年にあの記事を書かれた渡辺明氏ではないか!縁とは不思議なものである。
 今 渡辺さんは部品メーカーの工場長としてアメリカ在住、私も社命で某国駐在勤務であるが、電子メールを通じ交流をさせていただいている。現在、渡辺さんは軍用機の撮影からは離れ模型を制作するための資料として航空機の詳細部分を撮影されることが多いそうだが、模型つくりにおいては、全米コンテストでダントツ1位に輝くほどの腕前である。

渡辺さんが私のHPに賛同頂き、以前撮影された多くの貴重な軍用機の写真を提供してくれたので機会を見ながら当HPにUPしていこうと思う
。下はその第一弾ルークAFBのF-104Gの素晴らしい写真である。(2008年 6月 記)
HOME
NEXT
click here
↑ 1982年5月ルーク空軍基地で撮影されたF-104G 63-13238。渡辺師匠のお話によれば、1975年当時ルーク空軍基地のエプロンには60機以上のF/TF-104Gが並び、案内してくれたPAOからは、「全部撮ってもいいぞ」お言われたが、どれも銀塗装でインシグニアもなく、殆ど撮る意欲もわかなかったとの事。
↑ 1982年5月ルーク空軍基地で撮影されたF-104G 13269号機。この機も胴体を鏡のように磨いているが、尾翼に”69”と書かれているのは、第58戦術訓練航空団/第69戦術戦闘機中隊の所属を示す特別塗装のようである。
↑ 上2枚の写真は1979年2月に撮影されたTF-104G(61-3076)とTF-104G(66-13631)。61-3076は、冒頭の写真で建国200周年の記念塗装を施された機体で、66-13631の方は、1983年3月16日までルークで訓練機として使われ、阿里山8号計画で台湾に売却され、新竹の第2聯隊で序號4197を付けて飛んでいたが、1996年にスクラップとなったそうである。
↑ 1978年9月ミラマー海軍基地で撮影されたF-104G 13084号機(61-3084)。ロッキード社で製造された複座モデルで、ルークを去った後は、阿里山8号計画により台湾へ売却され、台湾の第3聯隊で序號4180を付けて飛んでいたが、1988年3月23日にエンジンからの火災でクラッシュしている。パイロットはベールアウトして無事だった。
↑ 1977年9月ルーク空軍基地で撮影されたTF-104G 13862号機(63-8462)。西ドイツ空軍でのナンバーは、27+64、機体は、明らかにエアクラフトグレーに塗られている珍しい機体である。
↑ 1976年9月マクラーレン空軍基地で撮影されたF-104G。この機体が、当時有名だったピカピカに磨かれ鏡のようなボディとなった13243号機(63-13243)。ピカピカに磨かれたことにより空気抵抗も減少したとされるが、翼の燃料タンクには1976年建国200周年の記念マークが入っている。因みに1977年5月の時点で2853時間の飛行時間を消化していたと記録される。
F-104G/67-22517 Aug.1975
冒頭の項(2008年6月 記)を書いた数年後、渡辺氏も定年退職で帰国され、趣味三昧の悠々自適の生活に入られた。私も其のまた約十年後に定年を迎え日本帰国と相成った。それまでメールでの交流が主体であったが、帰国後は、渡辺氏に誘われてプラモデル・コンテスト会場などを案内してもらうなど、交流をさせて頂いた。ある時、渡辺氏より自宅のスペースの関係で所有のスライドコレクションを手放したいとので引き受けてもらえないだろうかとの相談を突然持ちかけられた。渡辺氏ご自身で撮られ来た写真以外に、海外のマニアとの交流で交換したスライドも相当あるので、自宅の保管スペースの問題があるそうである。渡辺さんはこれから模型を製作して行く上で、自宅での収納スペースの確保が必要でとの事である。当初、私は自分自身の写真ですら半分も整理しきれていない中で、渡辺さんの貴重なスライド写真を受け入れる事は、難しいのではと考えていたが・・・・・